沿革
創立者の粟野誠一は、昭和20年8月まで東大助教授・航空研究所所員として航空機の研究に従事し、後に日本大学に奉職したが、学内にものづくりのための工作能力が貧弱で、ほとんど零にちかいことを憂慮し、昭和28年10月に本部並びに学部の援助により試作工場を設立しました。工作能力の確保は、医学部における付属病院の如く、学内研究を側面より促進すると共に、研究成果を産業界にフィードバックすることを主目的とする考えでありました。設立より50年を過ぎ時代と共に目的が変わってきたが、ものづくりの重要性は近年益々高まっています。
年表
1953年(昭和28年) | 10月 | 駿河台に工場建設、日本大学工学研究所試作工場を設立。 |
1958年(昭和33年) | 9月 | 江東区大島町に大島実験所を建設、試作工場と内燃機関実験室を移転、駿河台1号館に試作工場分室を開設。 |
1973年(昭和48年) | 6月 | 試作工場分室に印刷部を設け、教職員用として複写機、印刷機を設備し、業務を開始。 |
1975年(昭和50年) | 8月 | 試作工場分室にある工作関係機械を大島実験所に移し、スライド作成機、製本機を追加設備、分室を印刷室として本格的に印刷業務を開始。 |
1976年(昭和51年) | 9月 | 理工学研究所試作工場運営委員会が発足、粟野誠一が初代委員長となる。 |
1980年(昭和55年) | 3月 | 印刷室を改造して学生に対するセルフサービスによる複写業務を開始。 |
9月 | 運営委員長に新澤順悦就任、以降は機械工学科主任教授が委員長となる。 | |
1984年(昭和59年) | 12月 | 船橋校舎に機械実習所竣工、大島実験所の全設備移転。試作工場は機械実習所と名称変更。 |
1985年(昭和60年) | 4月 | 機械工学科、精密機械工学科、航空宇宙工学科、短大機械コースの学生に工作実習実験教育と関係設備の保守管理を担当。教職課程の金属加工と木材加工の実習担当。 |
1986年(昭和61年) | 4月 | 試作工場分室印刷部を事務局管理に移行。 |
1994年(平成 6年) | 9月 | 機械実習所開設10周年を祝う会開催。 |
1996年(平成 8年) | 4月 | 機械実習所を工作技術センターと名称変更。 |
2002年(平成14年) | 4月 | テクノプレース15竣工に伴い3号館、6号館の工作実習実験関係設備を移設。 |
9月 | 工作技術センター創立50周年記念式典開催。 |